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アルティメット北米留学:本田貴久(1999年 Death or Glory所属)
1999年、ボストン"Death or Glory(DoG)" は、8月に世界クラブチーム選手権に初優勝し、10月には北米選手権(UPA)6連覇を達成した。2大会とも負けなしの完全優勝。幸運にも自分はその時その場所でプレーしていた。 今思い出しても自分の幸運をつくづく感じる。

ボストンで過ごした1999年は、自分の人生の中でも忘れ得ない年だ。

アルティメットが好きでもっともっと高いレベルでプレーしたい人にとって、海外でプレーすることは夢であり目標であるかもしれない。世界大会でプレーして、その雰囲気、レベルの高さに興奮した人ならなおさらだ。ただ、実際の生活環境では、全てを置いて海外に飛び出してしまうことは現実的なこととは言えないかもしれない。そりゃそうだろう。自分だって会社を辞めて無職になって渡米したけれど、それが会社の周りの仲間から見て賢明な選択と考えられていたとは思えない。その後の人生どうなるのか、当時の自分には全くわからなかったし、ただアメリカに行って少し英語がしゃべれるようになって帰ってきたらそれなりの仕事はできるんじゃないか、ぐらいの気持ちだった。あわよくば、アメリカに残って大学に入り直そうかとも思っていた。十分なお金もないくせに。。でも、結局ちゃんと今もこうして生きているし、結果的に自分にとって良い結果になっている。要するにやりたいことやってもどうにかなるものだ。

無謀なことをやろう。世界に挑戦しよう。 せっかくアルティメットなんていうマイナーなスポーツと出逢ったわけだし。

しかし、ただの憧れだけにならないようにしっかり現実をまず見るべきだ。日本のトップクラスのアルティメットのレベルは高い。トップレベル以外は逆に低い。アメリカは層が厚く、プレーが激しい。日本のトップレベルでプレーできる自信がなければアメリカに行っても何もできないので辞めたほうがよい。雰囲気を感じるのはいいことだけど、それだけの理由でアメリカに行ってもただの道楽だ。行くからには結果を求めてハングリーな姿勢がないといけない。UPAの緊張感で戦うなら強い気持ちが絶対必要だ。その気持ちがあれば寛容なチームは受け入れてくれる。


■DoGのアルティメットとそこでの経験
DoGで求められたことは、「チームで要求されたプレーをすること」。必要なタイミングに決められた動きを正確に実行すること。チームの中での役割を理解し、それを徹底すること。DoGは、試合運び(戦略)、オフェンスとディフェンスの戦術、ともに非常にレベルが高かった。 特に徹底していたのはゾーンの使い方。日本のチームはゾーンの練習(戦術)に多くの時間を割いていると思うが、DoGはむしろ、試合の中のどのポイントでゾーンを使うか(戦略)に重点を置いていた。2-3-2、1-3-3のゾーンの他、数種類のクラム、トランジション(ゾーンからマンツーへ変わるディフェンス)を持っていたが、決して試合の最初のディフェンスでは使わなかった。ハードなマンツーマンディフェンスでプレッシャーをかけた上で、ゾーンを絡める。そうすることで一層効果的にゾーンが活かされる。得意なプレーを手の内に持つことで相手へプレッシャーをかけられる。そしてゾーンに慣れてくる前にトランジションを使ってくる。そうすることで心理的にも優位にゲームを進めることができる。

オフェンスでは、非常にオーソドックスな2パーソンプレーを徹底してやっていた。普通にプレーすれば必ず点を取れる、という強い信念を持っていたように思う。順番通りにミドルが動き、他のプレーヤーがスペースを作り、ゴール前に近づくとエンドゾーンプレーへ移行する。素早いディスク回しと広いスペースによって簡単にはターンオーバーを許さなかった。UPA決勝のCondors戦でのDoGのターンオーバーは合計4回。後半オフェンスチームは一度もディスクを相手に渡さなかった。

練習はとにかく週1のトレーニングが辛かった。激しいトレーニングだったと思う。 シーズン前半のトレーニングはこんな感じだった。
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ウォームアップ- トラック400m ×2
スタジアムのアップダウン-10往復
トラック-400m(ラップ70秒,インターバル60秒)×3を1セットとして,計3セット。セット間のインターバル180秒。
クールダウン-トラック400m×2
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シーズン後半になると、200m、100m、50mのセットに変更され一層きつくなる。

それと比べて通常の練習はほとんどがゲームで時間も2時間程度。週末の午前中にあっという間に終る。午後はそのまま飲みにいったりパーティに出かけたりする。集中してプレーするという姿勢は徹底している。量よりも質である。悪いところを指摘することよりも良く出来たところを全員で確認するなど、根本的な考え方がポジティブで日本のチームも見習うべきだと思う。


■世界大会とUPA
1999年は夏にスコットランドで世界クラブ選手権が行われ、秋にUPAが行われた。アメリカのチームにとっては、目標はあくまでUPA。UPAで勝てなければ世界大会で優勝しても価値はない。世界大会はDoGのメンバーは16名。そのうち3名は違うチームの選手で、スティーブ・ムーニーを含む主力10名が不参加だった。正直に言えば、チーム内の戦前の予想では、「良くてベスト4。コンドルズには勝てないだろう」というものだった。そりゃぁメンバーを見ればわかる。若手が中心で1.5軍か2軍という印象だった。しかしこの大会で若手が躍進し、10戦全勝でDoGは初めて世界クラブ選手権を制した。そんなメンバーだったこともあり、ほとんど主力としてかなりのプレー時間を与えられたし、ここで自信を付けチームでも信頼されたのが次のUPAでも活きたと思う。 しかし、良く勝てたと今でも思う。若くて勢いがあったけれど、準々決勝でRing of Fireを破り、準決勝では事実上の決勝戦となったCondorsとの対戦。15-10で退けた。この試合は、DoGの戦略の勝利だと確信している。DoGは得意のゾーンを使うのを終盤まで我慢し、10-10の緊迫した展開になった。けが人を除きほぼフルメンバーで臨んできたCondorsに対して、終盤に勝負をかけることができる我慢強さと試合運びのうまさ。同点でも追い詰められずに機を伺い、残り5点で突然ゾーンを仕掛けた。ディフェンスをしていて相手の足が完全に止まったのが手に取るようにわかった。パスコースを絞られたハンドラーがスイングパスをしたところをJimがダイブブロック。相手のエンドゾーン前から楽々点を取り、一気に流れをつかんだ。その後、自分もダイブブロックを決め一気に5点を連取し結果的には快勝。試合運びのうまさと勝負強さをまざまざと感じた試合だった。

UPA。
世界大会は6度経験していたけれどUPAは初めて。DoGの誰もが「UPAが全て。そこで勝てなければ全く意味がない。UPAは世界大会とはぜんぜん違う」と常に言っていた。世界大会の勝利に喜ぶ若手に対して、ベテラン組は最初からUPAだけに絞っていた。9月からの練習は殺気を帯びてきた。チーム内で罵り合い、若手とベテランはぶつかり、プレーはラフで試合よりも激しくなった。UPAは違う。練習からも伝わってきた。世界大会で自信をつけたはずなのに、チーム内で生き残れるかどうかも怪しくなってきた。ボストンの秋は早い。10月初には冷たい雨の降るグランドで泥だらけになって練習した。

東地区予選の決勝戦。東エリアのライバルであるニューヨークとの対戦。ボストンの24人は、それまで見たこともない鬼気迫るプレーで相手を圧倒。いきなり8連取してあっという間に試合を決めてしまった。その時初めて感じた、「UPAはまじでヤバイ・・・」。いったいこれまでの試合はなんだったのか。DoGの本当の力の半分も見ていなかったのではないか、そんな気分になった。

UPA本戦は、西海岸のサンディエゴで10月末に4日間の日程で行われた。緒戦が最も大事だと言っていたが、本当の意味は、1試合も絶対に勝てる試合はない、1つ1つ全力で倒せ、ということだった。

試合を追うごとに緊張してきた。今まで感じたことのないプレッシャー。ボストンは5年間に渡ってUPAで一度も負けていないのだ。各チームが全力でぶつかってくる。JAM、Ring of Fire、BoG、予選リーグから強豪ばかりが登場する。経験豊富なプレーヤーが揃っていることがどれだけ心強かったことか。試合前の余裕のある態度、試合中の圧倒的なテンションの高さ、プレーの正確さ。一つのミスが勝敗を分ける中で、全く動揺せずに力強くプレーするチームに勇気付けられて、自分も高いテンションでプレーできるようになった。準決勝では、前半リードされたFurious Georgeに対して後半に驚異的なゾーンディフェンスで追い込み逆転勝ち。Furiousは絶好調でUPAにかける尋常ではない気迫が伝わってきた。プレーも冴えわたり、観衆はDoGが初めて負ける瞬間が見られるのではという期待でFuriousを後押しし、彼らもその期待に応えるようにアグレッシブな戦いを見せた。今まで感じたことのない異様な雰囲気の中、大会中唯一のミスをした。あれで負けていたら戦犯間違いなし。一つのミスが致命的な結果を招く。試合が終わったときはホッとして本当に力が抜けた。

決勝戦は因縁のCondors。大会最終日の日曜日は決勝戦だけが行われる。そこに辿り着いたこととUPAファイナルという特別な場でできるという興奮で、緊張よりもワクワクする気持ちになった。前日までのプレッシャーが嘘のようだった。一生に一度の舞台だと思うと、緊張するのがもったいなかった。とにかく全力でやるだけ。試合は17-12で完勝。自分は無効となったロングシュートが悔やまれるが、ディフェンスセットのスターティングメンバーとして出場しプレッシャーもなく満足いくプレーができた。DoGは史上初の6連覇を達成。

全て幸運に恵まれたけれど、素晴らしい仲間に出会えて、そこに加わることができたことが今思うと一番嬉しいし、思い切って決断してよかったと心から思える。

当時の日記に自分が書いていた言葉。
「やっぱアメリカのアルテってすげーよなぁーー,おもしろいわ」

協力: 本田貴久(1999年 Death or Glory所属:現ディスクマニア)
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